ミャンマーの自然・動物への愛 写真随筆家・大西信吾さん

最初のミャンマー滞在から25年。ミャンマーの自然・動物を長期に渡り追い続ける大西信吾さん。急激な変化を遂げるミャンマーにおいて、環境問題への取り組みなども行う貴重な存在。ユーモアたっぷりにお話しくださる姿、出版物、活動は、常にミャンマーの自然・動物、そして人々への愛で溢れている。

Enjoy Yangon編集部(以下、編集部):大西さんは、写真撮影、執筆、環境問題への取り組みなど、ミャンマーを舞台に幅広い活動を行っていらっしゃいますね。いずれも大変興味深いのですが、まずは、ミャンマーで活動するようになったきっかけから教えて頂けますでしょうか?

大西さん:自然・動物が好きだったので、琉球大学の農学部林学科で、森林生態、中でも森林動物について学びました。卒業後、代用教員などを行い、1990年、31歳の時、知人の紹介でJICAのプロジェクト(中央林業開発訓練センター計画)の調整員としてミャンマーに赴任しました。それから、私とミャンマーの関わりが始まりました。

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編集部:当時のミャンマーは、どのような感じでしたか?

大西さん:夜間外出禁止令が敷かれ、夜9時以降は外に出てはいけない時代でした。2連バスが走っていて、男女の車両が分かれていました。また、通信が今とは大きく異なっていました。例えば、国際電話は予約制で、朝予約して日本の日付が変わらない内に繋がればよい方でした。日本の深夜に繋がった場合は迷惑をかけるのでキャンセルすることもありました。

編集部:今のヤンゴンとは異なりますね。どれくらい滞在されたのでしょうか?

大西さん:5年間滞在し、任期終了に伴い帰国しました。帰国後、滞在期間中につけた野鳥の観察記録をまとめ、1997年にミャンマーへ戻ってきました。それから、任期中は思うように回れなかったミャンマー各地の自然保護区や林業現場の訪問を開始しました。

編集部:大西さんの本「ゾウと巡る季節」を読むと、人と一緒に労働をするミャンマーの使役象は興味深いですね。

大西さん:昔、アジアでは労働の仲間として象を使っていた国がたくさんありました。しかし、今でも使役象を林業政策に組み込んで使っているのはミャンマーだけです。車や機械が入れないような山でも象はどんどん入っていき、伐採した丸太を曳いていくのです。機械化した林業では、車や機械を入れるために多くの木を伐採しないといけません。山の木を全部切り倒す皆伐になってしまうのです。象を搬出に使うと一部の木を切るだけの択伐としてやっていけます。こうすることで、森も生き続けていくことができます。

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編集部:以前、ヨーロッパで制作されたアジア象に関するドキュメンタリー番組の話を聞きました。タイとミャンマーの象を比較していたそうですね。

大西さん:私は直接は見てませんが、タイの象は観光客相手に楽な生活をしているのに対し、ミャンマーの象は過酷な労働させられてかわいそうだというニュアンスだったと聞きました。確かにミャンマーの使役象は丸太を運ぶという重労働をしていますが、一日中働いているわけではありません。一日の半分以上は自由に山の中を歩き回っています。それに、自分たちが生まれた山の中で生きていけるのです。山から下りて楽に生きていくのが幸せか、労働はあるが山の中で生きていくのが幸せなのかの違いですね。私はミャンマーの象の方が幸せと思ってます。

編集部:ミャンマーの自然の中での撮影、調査などでは、危険な目にも遭われたのではないでしょうか?

大西さん:幾度もマラリアに感染しました。また、闇の中、森を歩いている際、聞こえてくる小枝の揺れる音が風によるものではないと気づき懐中電灯で照らしてみると、頭のすぐ前から毒蛇が威嚇していたこともありました。気づかずに進んでいたら・・・。森の中で密猟者と遭遇して森林官と撃ち合いになったこともありましたね。ヒョウとの鉢合わせは、むしろ感動でした。

on 20121031 0715すぐ近くに現れた巨大なイリエワニ。メインマラー島にて

編集部:最近は、環境問題への取り組みもおこなっていらっしゃるそうですね。

大西さん:私は、見てもいないのに感覚だけで偉そうに言いたくありません。実際に自分の目で確認したことをもとに何かを呼び掛けていきたいと思っています。各地を訪問して気づいた環境問題についても、言葉で説教するだけでなく、何かで見せたいと活動しています。

編集部:英語・ミャンマー語を併記した本「Mother of life, the river AYEYARWADY」では、環境に関する貴重な写真や資料も載ってましたね。

大西さん:はい。エヤワディー川沿線で、環境調査/撮影記録/ミャンマーの方々の環境改善への取り組み、という3つのアプローチを組み合わせたのプロジェクトを行ったのですが、その成果品の1つです。プロジェクトは3年間でしたが、本がある限りプロジェクトは続いているという気持ちです。実際、本を見てプロジェクトを知り、環境改善を行いたいと連絡してくる人もいます。売り上げの一部をミャンマーのために使用することにしています。

編集部:色々活動される中で、ミャンマーの水に関してどのようなことに気づかれましたでしょうか?

大西さん:ミャンマーの川をいろんな地点で調査したところ、何箇所かで水銀が検出されました。金の採掘で水銀を使っているのですが、それが原因と思われます。また、市販されている有名ブランドのミネラルウォーター7種を検査したところ、安全性に疑問のあるものもありました。数値的には日本の飲料水の安全基準に収まっているものの六価クロムも検出されました。これらについては、引き続き調査していくつもりです。

on 20160125 1006エヤワディー川の始まり、ミッソン。1998年2月

on 20100120 1204上流での採掘が疑われるミッソン周辺の支流。2010年1月

編集部:今後、ミャンマーに関連する活動のご予定を聞かせて頂けますか?

大西さん:原点である自然を巡る旅は続け、現状を紹介していきます。その一方、環境問題については個人でできることには限界があります。地元の環境系NGOも日本の研究者も共同で取り組んでもらえればと思っています。特に、ミッソンダム(注1)建設と戦った環境保全林業省は力強い味方です。

編集部:今後の活動も楽しみにしております。本日は貴重なお話をどうもありがとうございました。

(文:Laz & 後藤 修身)

プロフィール
大西 信吾(おおにし しんご)
1959年愛媛県伊予市生まれ。琉球大学農学部林業科を卒業後、1990年から95年にかけてJICAの専門家としてミャンマーで勤務。その後、フリーランスとして毎年ミャンマーを訪れ写真撮影や調査に携わる。「Mother of life, the river AYEYARWADY」「ゾウと巡る季節」「ゾウと生きる森」「The Light of the Jungle」「ミャンマーを知るための60章(共著)」など、多種の本を出版。現在、写真随筆家、森林インストラクターとして活躍。

注1 ミッソンダム
ミャンマー最大河川エーヤワディ川の上流、カチン州のミッソンに中国電力投資公司(CPI)出資による巨大ダム建設の計画があり、一部工事も始まっていた。しかし、国内で大きな反対運動が起こり、2011年に中断(テインセイン大統領の任期の間)が発表された。

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