エヤワディー川デルタ地域に浮かぶメインマラー島。94年に自然保護区に指定された33,779エーカーのエリアで、周辺にはミャンマーの土着信仰・ナッ神のひとり、ウーシンジーの伝説が残り、今なお同エリアの多く人々が彼を信仰している。
ミャンマーの自然に造詣の深い写真随筆家で森林インストラクターの大西信吾さん、地元の森林官(パークレンジャー)の方々をガイドに、メインマラーのワニとその自然を巡る3泊4日の旅に参加した。
ナッ神の使者・ワ二の集う島
ヤンゴンから車で約4時間、エヤワディー管区はボーガレー郡にある森林局を経由し、そこからさらにエンジンボートで2時間半ほど行ったところに、目的のメインマラー島自然保護区(Meinmahla Kyun Mangrove Wildlife Sanctuary)はある。
同保護区はかつてミャンマーに存在した4種類のワニのうち唯一残ったイリエワニが、繁殖できる数が確認されている、ただひとつの場所だ。商用の木材の伐採や、隣国・タイなどへのワニの販売などにより動植物の数が減ったことで、94年に自然保護区に指定。マングローブが生い茂るこの島周辺には、ワニのほか、約150種の野鳥や、蛍、イルカ、サルなど、多種多様な生物が生息する。立ち入り制限地域であり、入域には森林局の許可を得る必要がある。その一方で、欧米人のエコツーリストを中心に、訪れる外国人観光客数は年々増えつつあるという。
豊かな生態系を保持するメインマラー一帯を語るのにワニの存在は欠かせないだろう。ミャンマーに残されたワニの生息地域ということもあるが、近隣の村で信仰されているナッ神・ウーシンジーの使いのひとつがワニでもあるからだ。信仰との関係性は定かではないが、08 年にミャンマーを巨大サイクロン・ナルギスが襲った際、河に流された人々が丸太にしがみついて陸地にたどり着くことができたのだが、上陸後、丸太は自ら泳いで河の向こうへ行ってしまったという。つまり、丸太だと思っていたのは巨大なワニで、ワニが住民を救ってくれたのだという話が、この地域で伝説のように残っているのも、ウーシンジー信仰との関係を思わずにいられない。
メインマラーに着いた初日は、近隣のビョンモエ島のゲストハウスでいったん休憩の後、18時半ごろに出発。イリエワニを観察しやすい1日2回の干潮時にできるだけ近い時間帯を狙って、今回の目玉の一つであるイリエワニを見つけるべくエンジンボートに乗り込んだ。辺りはだいぶ暗くなり、懐中電灯を照らしてワニを探しながらぐんぐん進む。肌が焦げるような日差しの強い日中と違って夜間は涼しく、肌を切る風が気持ち良い。完全な闇に眼が慣れたころ、たくさんの光が点滅し始めた。マングローブに群生している蛍たちだ。ふと空を見上げれば、頭上にはこぼれんばかりの大量の星。目を凝らさないとオリオン座ですらもほかの星に埋め尽くされ、どこにあるのか分からないほどだ。
クリスマスのイルミネーションさながらに輝く蛍や、満天の星空の光に囲まれ大興奮していると、突然、「ミィジャウン(ワニ)! ミィジャウン!」と舳先にいた森林官らの小さな叫び声が。それに続いてボートのエンジンが止まり、前を見ると、20m先ほどにある川岸がライトで照らされている。手招きされ、ライトを持つ森林官の手元からまっすぐ光の指す方向を見ると、小さく小さく赤く光る点が見えた。ワニの目だ。音を立ててはいけないという妙な緊張感と、早くも野生のワニが現れたという喜びの中、オールを使い、こっそり接近を試みてもらうも、先ほどまで響き渡っていたエンジン音や人影に警戒し、ワニはちゃぷんと水中に潜ってしまった。まだ幼い子ワニだという。その後も、ワニの目を発見しては逃げられての繰り返し。2m級のワニを発見したり、うまく子ワニに近づいて森林官が素手で捕獲を試みるが、なかなかその全体像を目に納めることができない。意外なほどワニの警戒心は高く、この日は赤い目以外確認することができなかった。
暮らしと自然、両立の難しさ
翌日も干潮時を狙って朝からボートで行動。明るい日中の光の下で進むと、水面がずいぶんと自分に近いのに驚く。ヘリに座っていると水しぶきが飛んでくる。茶色い川の水を少しなめてみると軽い塩気がする。この辺りは、淡水と海水が混ざった汽水エリアなのだという。昨晩、身体を洗うために浴びた水もほのかに塩辛く、シャンプーした髪も若干キシキシしてまとまりが悪かったのも納得だ。河など淡水にすむイメージの強いワニが、塩水で生活できるのか? と疑問が湧いたが、イリエワニは、海水にも汽水にも適応できる珍しいワニなのだとのこと。そんな面白いワニならぜひともこの目で見てみたい。何とかワニに出会えるよう、これから地元のナッ神へ祈願しにメインマラー島の南部へ祈祷式を行いに行く。
メインマラー島の中心へと続く水路を進むにつれ、ぐにゃぐにゃと曲がった根を地中に刺すようにして立つ木や、幾本もの根を弧を描くように刺している木、地面から気根を指のように何本も突き出している木、ヒイラギのようなギザギザの葉を持つ木など、様々な種類のマングローブが次々と現れ、思わず辺りをキョロキョロしてしまう。
河の水面は平らで、どこまでも静かで、陸に生える木々を鏡のように映し出している。リラックスムードの中、景色を楽しんでいると、何やら同乗していた森林官の方々が騒ぎ始めた。我々より少し前方に浮かんでいる3隻の小舟に向かって何かを叫んでいる。すると小舟に乗っていた人たちが、慌てて船に積んだ木の枝を水に捨て始めた。違法伐採者だという。自然保護区であるメインマラーでは、マングローブの伐採は禁じられている。森林官らが見つけた場合は、採った木を河に捨てさせ、伐採に使った刃物を没収。その後、注意や村の長に辞めさせるよう注意を促すだけのこともあるが、ひどいときは当然、逮捕に至ることも。森林官の定期的なパトロールにも関わらず、人々の伐採行為はなかなかおさまらないという。自然保護の必要性を理解してもらうのは、そう簡単なことではないようだ。
保護の必要を理解してもらえないのは植物だけにとどまらない。この近隣の村々には、ウーシンジーの使いであるワニを大切にしている人もいる一方で、まれに人がワニに襲われることもあり、「なぜ人を襲うワニを大切にしなければならないのか」と、地元の人が積極的にワニを保護するまでにはなかなか至らないという。
最近まで5m級のワニが4匹確認されていたが、うち1匹が人を襲ったとされ、怒った村人に殺されてしまったという事件が13年に起きた。とはいえ、そのワニの腹からは人は出てこず、おそらく真犯人は現場の近くにいた別のワニではないかと考えるものもいる。80年代、メインマラー周辺には1000匹近いワニがいたが、乱獲などで94年には100匹ほどに減少。保護区になったことで昨年末には約150匹弱ほどと、徐々に増えてきてはいるようだ。とはいえ、ワニの数が減ったことで、ワニとの付き合い方を知らない住民も増えつつあることを懸念し、「保護活動とともに頭数が増えていくならその教育もしっかり行っていかないといけないのではないか?」と大西氏は語る。
ナッ神への祈願、叶う
昼を過ぎたころ、メインマラーにある森林局の詰所に立ち寄り、小さな手漕ぎボートに乗り換えた。さらに狭い水路を進むためだ。2~3人乗りほどのボートで、水面がボートのヘリをわずかに下回る位置にまで上がっている。その分、マングローブがワッサワッサと生い茂る地面と目線が近くなる。タイヨウチョウなどの野鳥の声が響く中、沿岸にはカワウソの足跡が残るなど、気分はジャングルクルーズだ。気がつけば、時計の針はもう1時。お腹の音も鳴っている。森林官の方や乗船した地元の方々が、マライソテツジュロの新芽や、15㎏ほどもある大きなニッパヤシの実を採ってくださり、軽食代わりに食べる。シャクシャクした歯ごたえが若いタケノコのようなシュロの芽に比べ、ニッパヤシの実は、ほのかにヤシの風味こそしたが、まだ熟れてないのか固く、何粒も食べているとアゴが疲れるほどだった。
そしてメインマラー島の南に到着。上陸し、アボーをはじめとした5人のナッ神へラペットゥとウィスキー、火をつけた煙草を備え、今回の旅の無事と、ワニに会うという目的が果たせるよう祈りをささげた。
そしてその帰り。ボートを乗り換えた場所に戻る途中のことだった。
「あっ、動かないで。上にヘビがいます!」
大西さんの声に、すかさず頭上を見上げると、黄色地に黒い網目をまとったヘビが、S字に体を曲げ木の上に横たわっていた。全長60㎝はありそうなクサリヘビ科のヘビだ。この態勢から、攻撃対象にジャンプしてとびかかるのだという。このサイズのものに噛まれると、身に危険が及ぶとのこと。写真を撮るだけ撮って、刺激しないようにそっとその場を離れた。
そして元のエンジンボートに乗り換え大きな河を蛇行中のこと。不意にエンジン音が消えた。念願のワニの登場だ。数メートル級の大きな個体が、岸部に寝そべっていると森林官らが興奮気味に言う。彼らが言う方向を目を凝らして見るが、いくら目を見開いても何も見えない。
手漕ぎで徐々に近づいてもらい、ようやく見えたときは、ワニがまさに河に入る瞬間だった。しっぽの先がわずかに見えただけだったが、かなりの太さだ。数メートル級のワニだったようだ。それにしても森林官の方々は、どれだけ目が良いのだろうか? 彼らが最初にワニを発見した場所は、ワニから数百メートルは離れていた位置で、しかも、ワニの色は地面の色とほぼ同じで同化してしまっている。それがどうして見えるのか。視力を聞いてみたが、測ったことがないから分からないのだと残念な返事。その後も、宿に着くまでの間に、網からこぼれる魚を食べるべく船の近くをウロウロするイルカ(カワゴンドウ)をいち早く発見し教えてくれたが、その姿はあまりに遠く、どうやって見つけているのか不思議なほど。「あっ、出て来た!」と言われ目線を移すも、目で確認した後に写真に納めるのは至難の業だった。
そして最終日。この日は島の北部を中心に探索。これまでと様相が変わり、まるで野鳥の楽園さながらの景色に出会うことができた、ゴイサギや越冬で渡って来たツバメ、ダイサギ、ヒメウ、ミサゴにカワセミの一種、そしてクロトキなど、いろいろな野鳥が目の前を横切り、頭上を飛び交っている。
宿を出発して1-2時間も経った頃だろうか。「ミィジャウン」と叫ぶ声がし、皆の視線の先をたどると、いた! マングローブ林の下でゆったりと寝そべる灰色のワニだ。手漕ぎでゆっくりゆっくりと近づくにつれ、模様がはっきり見えて来た。もうちょっと、もうちょっとと徐々に近づくもやはり逃げられてはしまったが、するどい歯の一本一本が目に焼き付くほど、ワニの姿をしっかりとらえることができた。
昨日の祈祷が効いたのか、その後も、野生のサルに出会ったり、木の上にぶら下がるオオコウモリの群れを見たり、何度もこの地を訪れている大西さんですら一度にすべての個体に会うことは少ないというほど、多くの野生動物たちが勢ぞろいした。
そして夜。間近でワニを見せたいという森林官の方々の配慮により、夕食後の干潮時を狙って再度ワニ探しに出ることになった。この日の夜はだいぶ冷え込み、潮が引きエサが出てくるワニたちを探している間中、手足の先がどんどん冷たくなっていくのが分かる。何度か子ワニの捕獲を試みるも失敗。そろそろこの寒さに耐えられなくなってきたと思った矢先、近くの詰所の人が子ワニを捕まえてくれていることが分かった。急いでそこへ向かう。ボートが到着すると、捕獲してくれた方がワニを片手でつかんで持ってきてくれた。体調20~30cmくらいだろうか。暴れることもなく、おとなしく捕獲されている。これがあの巨体になるのかとは思えないほど可愛らしい。触らせてもらうと、腹部がぽよぽよと意外なほど柔らかいのに驚いた。強くつかんだらつぶれてしまうのではないかと心配になるくらいだ。
目の前でワニを見るまたとないチャンスに、森林官の方々がワニの体の構造についてレクチャーをしてくれた。まず、クロコダイルの特徴として、前足には指が5本、後ろ足には水かきが発達した4本の指がある。舌は下あごについている(!)ため人のように自在には動かず、目にはまぶた以外に水中で視力を確保するための瞬膜がある。頭の大きさでおおよその体長が分かるらしく、夜間見つけたワニを子ワニだと分かったのは、懐中電灯の光に反射した目を見て、眉間のサイズで頭の大きさを推測し、大人のワニなのか、子どものワニなのかおおよそのサイズを目測していたようだ。
説明を受けている間、寒さも忘れかけていたが、気が付けばもう夜中の12時過ぎ。子ワニを放すよう捕獲者に頼んで、宿へ戻った。
そして翌朝。朝日が昇るにつれて、河や木々をあさぎ色からサーモンピンクに染まっていく。濃厚な3泊4日の旅だったが、大自然の地から人と車の混みあうヤンゴンへ帰るとなると「もっとここにいたい」という気持ちでいっぱいになる。後ろ髪をひかれつつ、様々な生き物に遭遇させてくれた森林官の方、大西さん、そして地元のナッ神に感謝をしながら、ゆったりと流れる大きな河をボートに乗りながら帰途についた。
(写真:後藤修身、文:菊池美弥)
今回の旅でお世話になった大西信吾さんのブログです。ミャンマーの自然について多くの記事があります。 Myanmar Wild Tour ‐ミャンマーの自然と動物を訪ねて
*森林官の方に伺った、ウーシンジーの物語を下記に記します。
その昔、メイフラーとメイミャーという二人の娘を持つアボーという男がいた。彼は友人のナッ神・ラムーに協力を要請し、現在のメインマラー島で狩猟を行っていた。
そんなある日、ナッ神(注1)の集まりでラムーが島を不在にしたために、島から動物がいなくなってしまった。狩りが行えなくなってしまったアボーは、怒りからラムーの住む木を切ってしまった。それを知ったラムーは、アボーをトラに殺させ、アボーはナッになった。さらにラムーは、ナッになった父を心配しメインマラーを訪れた娘たちをもトラに殺させ、彼女たちもナッになった。
それから月日は過ぎて、ヤンゴンは現在のダラーに住むウーシンジーという見目麗しい男がいた。彼は僧侶になることを夢見ていたが、貧しく、夢を叶えることができなかった。そこでいとこのボーアウンに相談に行ったところ、メインマラーの近くの島・チュンニュージーの木を伐りに行こうと誘われ、ついて行くことになった。その島は歌や竪琴の演奏が禁止されている島だったが、ウーシンジーは竪琴をこっそり隠して持って行ってしまった。皆が木を切りに行っている傍ら、料理が好きな彼はついてはいかずに、食事を作って待つことになった。その間、歌を歌ったり、竪琴を演奏したり。そうするうちに、ナッ神となったアボーの娘たちが音楽に引き寄せられてやってきた。彼女たちをナッと知らないウーシンジーは、せがまれるままに演奏を続け、彼の代わりに娘二人が食事を作り…。こんな日々が4日ほど続いただろうか、皆がダラーに帰ることになり、ウーシンジーも一緒に船に乗り込んだ。ところが彼を返したくない二人のナッにより船は動ない。皆にはナッの姿は見えていなかったが、何かおかしいと感じた皆は、くじを3回引いて誰が原因かを探ることにした。すると3回のうち3回ともウーシンジーが当たりを引き、彼が何かをしでかしてしまったことに皆が気づいてしまう。ウーシンジーがいると帰れないと知った皆は、彼を水に落とし帰って行った。落ちたウーシンジーは、二人の娘に助けられナッになった。
ナッになった後も母を恋しく思った彼は、いとこのボーガウンに頼み、「呼んでくれたら現れます」と母への伝言を頼んだ。息子を愛する母は、ウーシンジーの好きなものをお供えして彼を呼んだところ、ウーシンジーが現れ、「助けが必要な時は呼んでください」と言い残したという。
このエリアでは、今も年に2回、ウーシンジーの好きなものをお供えして彼を呼び戻すお祭りが行われている。
(注1:ミャンマーの土着信仰。神様というよりは精霊的な存在とも言われる。代表的なナッは37神おり、家や街の中、木の下などいろいろなところに祭られている。)