「観光」や「ビジネス」などの目的で、ミャンマーに数多くの外国人がやってくるようになり、ようやく数年が経つ。そんな中、17年以上も前から、「蝶」を追って日本とミャンマーを往復し続けている日本人男性がいる。静谷英夫さん(75歳) - 「ミャンマーには、蝶以外の興味がないんですよ。ごめんなさいね!」とカラッと笑う、潔さが印象深い、ミドリシジミチョウ類のエキスパートだ。「シロウトが、こんな話をすいません!」と謙遜しながら語って下さるその世界は、なかなか知る機会のない興味深い知識と経験であふれていた。
Enjoy Yangon編集部(以下、編集部):「蝶」という非常に専門的かつ興味深い目的で、ミャンマーにいらっしゃっています。静谷さんと蝶のかかわりについて、簡単にお教えいただけますでしょうか?
静谷英夫さん(以下、静谷さん):子ども時代って昆虫を採ったりするのが好きだったりするでしょう? それと同じで、僕の場合は、昆虫の中でも蝶が昔から好きだったんです。大学に入ってからいろいろな人と知り合ううちに、蝶の中でもシジミ蝶に興味を持つようになりました。以来、僕の専門はZephyrus(注1)というシジミ蝶などのグループです。日本でいえば5月半ば、ミャンマーでは雨季のあたまの時期に、年に一度だけ発生します。日本には現段階で25種類、ミャンマーでは50種類、世界では192種類の存在が確認されていて、Zephyrusの図鑑も出ています。
大学生時代は蝶を研究しておられる先輩にご指導いただいたおかげで、多くの知識を習得できました。サラリーマンになってからも海外生活が多かったこともあって(約16年間で計4回)、その都度、赴任地で蝶を追いかけることができました。
編集部:活動の舞台としてミャンマーを選ばれたのには、どのような理由があるのでしょうか?
静谷さん:そんな風に蝶にずうっと携わっていたこともあり、自分も蝶で何かやってやろうと、学生のころから考えていました。そこで会社を辞めたら、第二の人生は、アマチュアながら蝶の研究家として人がやれないことをやろうと思ったんです。
それまで会社員として働いていたときは、長期で休みをとれないこともあって、比較的行きやすい中国の、その中でも人が足を踏み入れないような場所を選んで蝶を探しに行っていました。現役時代に、四川省・成都の山奥と、広東省北側と湖南省の間の山、計2か所で、新亜種というくくりではありますが2種類の蝶を見つけたたこともあるんですよ。
現役を退く際、「行く人がたくさんいる中国ではなく、誰も知らない、難易度の高い場所はどこかだろうか」「蝶の分野で私が活躍できそうな場はどこだろうか」と考えたときに見つけたのが、ミャンマーだったんですね。
94年に偵察のために初めてミャンマーを訪れて、そのまた3年後の97年に翌年会社を辞めることを前提として再度ミャンマーの地を踏み、カチン州のプータオ(Putao)を訪れました。そこで、「これは面白い!」と感じるところがあり、98年に再緬。以来、毎年5月前後と10月前後は必ずミャンマーに足を運んでいます。98年からの数年間は場所探しの旅で、来るたびにいろいろなところへ行っていましたね。そして今のように決め打ちで来れるようになってきたのが02年くらいからですね。それからは、特にカチン州のパンワ(Panwa)~カンファン(Kangfang)が面白くてよく行ってますね。中国との国境沿いのエリアで、中国人も多く、通貨も中国元が流通しています。中国時間を使っていることがあるので、最初に中国時間なのかミャンマー時間なのかを、ガイドにはっきり確認しておかないといけなかったりするような場所です。そこではZephyrusを25種類ほど見つけています。新種も3種類見つかっています。
編集部:ミャンマー最北端の村やカチン州の中国国境沿い、ザガインやチン州の山奥など、辺境の地に赴くことが多いようです。特に軍政時代、そのような場所に行くのは簡単なことではなかったと思いますが。
静谷さん:僕が訪れる地域は、当時は軍の許可が必要なエリアばかりで、そこに行くまでがなかなか大変でした。ただ、海外生活も長いものですから、どうしたら良いかの見当はおおよそついていていました。最初は軍にコンタクトをとったりと、いろいろなことを考えながら最終的には政府系旅行社にたどり着いたんです。政府系旅行会社は当時2か所ありました。たまたまミャンマー最高峰・カカボラジを登頂した尾崎さんという方の本を読んで、その山麓の村で国内最北端の村・カチン州タフンダン(Tahundam)に行ってみたいと思っていたので、そのエリアをカバーしている方の旅行会社に許可関係をお願いすることにしました。そしてそのオフィスを訪ねてみると、そこで最初に会ったスタッフが、ここに来いって名刺をくれるんですよ。なんだと思ったら、その人が持っているまた別の旅行会社のカードなんです。すぐにその会社に向かい、そこでなんとか許可取得に至ったというわけです。案内人については、そのときからずっと最初に訪問した会社の方にお願いしていますね。
ちなみになぜ北部や山岳地帯に行くことが多いかというと、僕の好きな蝶は、ミャンマーではそういった涼しいエリアに生息するという理由によるものです。
編集部:ミャンマーで多くの新種の蝶を発見されたと伺っていますが、新種の判定というのはどのようになされるのでしょう?
静谷さん:これまでにミャンマーでは、9種類もの新種を見つけ、記載(注2)もしてもらっています。9種類というのは大変な数なんですよ。さらに現在、これとは別で、新種と思われる蝶3種類を学者に見てもらっているところなんです。
新種としての記載には、まず見つけたものの模式標本をつくらなくてはいけないという世界共通のルールがあります。そのほかに、新種や亜種として判定するために、近似種との比較が必要です。比較の結果、既知種とは明らかに違う場合、新種として記載できます。
比較するもっとも基本的なやり方は、ホロタイプ(注3)標本を調べることです。ミャンマーの場合、多くのタイプ標本は、当時イギリスが統治していたものですから、ロンドンにある大英博物館に保管されている場合が多いです。しかし、中には、同じイギリスの統治していたインドの博物館にあると書かれてあるものがあり、その場合、100年の変遷を経て現在は行方不明となっているタイプ標本もあり、困惑することもあります。
蝶は元来その模様から種の判定が行われていましたが、現在はオスの交尾器(ゲニタリア)やDNAによる判定もされるようになって参りました。
編集部:静谷さんが発見した新種にはどのようなものがありますか?
静谷さん:一番最近発見した新種は、3年前にチン州のミンダ(Mindat)の道路脇でとった蝶です。訪れる人が多い場所ながら、「なんだこれ?」と思い捕獲したところ、これは絶対に僕の好きなZephyrusの新種に違いないと思いました。ところが、日本に持ち帰るとみんなが口々に「これは本当にZephyrusですか?」って言うんですよ。そのくらい、既知のZephyrusとは全く異なる外見だったんです。ちっちゃいし、きれいでもない。ですが、調べてみると、やはりピカピカの新種で、なんと新属(注4)だったんですよ。あの辺りにシジミ蝶類が出現する雨季に行くのは大変なことだし、雨季だとたどり着くのにも時間がかかる。生息エリアも許可を取るのに大変なエリアが多いなど、見つけに行きたくともなかなか皆が足を運びにくいなどの事情で、今まで見つかっていなかったのかもしれませんね。
ほかには、2002年のカチン州中国国境のパンワという場所で見つかったAntigius shizuyai(和名:シズヤオナガシジミ)や2003年チン州の山岳部で見つけた卵から新種のチョウが羽化して命名されたShizuyaozephyrus kyokoae(和名:シズヤミドリシジミ)などがあります。
余談ですが、チン州にはまだ多くの自然林(原生林)が残っていて興味深い山岳地帯なのですが、100年前にテディム(Tidim)という場所でイギリス人が発見し記載したZephyrus letha(和名:レタミドリシジミ)という種は記載口絵(図)で記されており、そのタイプ標本はインド・カルカッタ博物館に保管されていると記されているのですが、残念なことに行方不明となっています。私が発見したそのレタミドリシジミと思われる卵から、メスが羽化したのですが、先にお話しした通り、タイプ標本がないため特定ができず、いまだに謎の蝶として扱われています。
編集部:17年間で9種類というと、2年間に1種類ペースで新種を発見しているということですよね。例え訪れる人が少ないにしても、そんなに見つかるものなのでしょうか?
静谷さん:僕が新種を発見できる理由について、Zephyrusの仲間はカシを食べる種が多いということが挙げられると思います。Zephyrusは年に一回しか出てこない種で、6月の雨季に羽化して9月くらいまでに卵を産んで、卵の状態で越冬します。そしてカシの新芽が出るころに生まれて、新芽を食べるというパターンの蝶です。推測ですが、僕が訪れているエリアは、イギリス統治時代、カシの大原生林が広がっていて、シジミ蝶は背の高いカシの原生林の上を飛んでいたんじゃないかと思っています。地面を歩いている人間には見つけられないんですよ。ところが、今は原生林を切っていて、二次林、三次林になっていて木が低いため、生き延びた種を見つけられたのでしょう。
編集部:毎年、雨期明けの10月前後に来ているのにはどんな理由があるのでしょうか? また別の蝶がいたりするのでしょうか?
静谷さん:10月ごろはZephyrusの卵を取りに来ているんです。この蝶は、卵のほうが採りやすいんですよね。成虫はカシの森を非常に活発に飛ぶ上、カシの木は高いので、なかなか採るのが難しいんです。成虫が出てくる雨季のシーズンは、森にずーっと霧がかかっていて、太陽が見えてきて晴れるかなーと思うと、またシューっと霧がかかって雨が降って来る。そうすると蝶が葉の陰に留まったりして見つけようがない。晴れてれば晴れてるで、目当ての蝶がまだ飛んでいない時期だったりするなど、本当に難しいんです。その一方で卵は種によって産む場所がある程度決まっていて、その形状なども見ればどれがどれか分かります。もちろん、相当勉強はしないといけませんが、高いところに卵を産む種がいる一方で、低いところが好きな蝶がいたりして、卵も面白いんですよ。卵から新種を発見した例も2種あります。
編集部:ミャンマーの辺境地にたびたび足を運ぶ中で、マラリアなどの病気にかかったことはありますか?
静谷さん:僕の隊できちんと薬を飲んで現地でマラリアにかかった人は、僕も含めてまだ誰もいません。僕の飲んでいる薬の場合は、マラリア汚染地域に入ったらその日から服用をはじめ、週1回ペースで服用するように言われています。そして汚染地域を離れても最低4週間は服用を続けなくてはなりません。帰国後に元気だからといて服用をやめてしまった学生で、3か月後に日本で発症し急遽入院となった人はいました。
今回訪れたマンダレー管区のモゴック(Mogok)のように、訪れる場所が汚染地域でない場合は薬は呑みませんが、プータオなど、一回でも汚染地域に踏み入れたら薬を呑むようにしていますね。プータオ周辺で蝶を取るときは、近隣の村人などマラリアを持っていることが多く、そこの人をポーターとして雇ったところ、山の中で発病されてしまったということが何回かありました。そうすると、途中で荷物が運べなくなってしまうんですね。はじめてポーターが発症してしまったときは、村からまだすぐ近くの場所だったし、どうしようもなかったので一人で村に引き返しました。それとは別に、発症したポーターが出てしまったときは、単独では帰れないところでしたし、ポーターを置いていくには不安な場所だったしで、そのポーターを介抱しながら、目的地までずっと歩き続けたなんてこともありました。
マラリアもだいたいは3日熱マラリアのようですし、最近は完治するという話もありますが、熱帯性マラリアなど命に危険が及ぶものもあると聞きます。かかってしまったらシャレになりませんから、汚染地域に行くときも行かないときも、常に薬は常備しています。
編集部:雨季だと、地盤がゆるく、事故などに遭遇することも多いかと思いますが。
静谷さん:それが、ありがたいことにこれまで大きな事故にあったことは一度もないんです。
がけ崩れなどに遭遇することはあります。以前、カチン州ミッチーナ(Myitkyina)からチプイ(Chipwi)へ行く途中、土砂崩れで車が通れなくなってしまい、一晩、小屋のような所に泊まったことがありました。雨が降り続け、なかなか眠れずにいたところ、夜中に、ドン...、ドン...、と外で何かが転がり落ちてくる大きな音が聞こえてきました。「逃げましょう」と一緒にいたメンバーに言われましたが、外は真っ暗闇。逃げようにも何も見えない状態です。「これは、もうしょうがない」とある程度覚悟を決め、そのまま小屋の中に留まっていました。誰一人口を開かず、小屋の中はシーンと静まり返っています。こうしてかたずを飲んで状況を見守っているうちに大きな音はやみ、小さな石が転がるような音だけになりました。翌朝外へ出てみると、小屋から50mくらい離れたところに巨大な岩が落ちていて、そのときはさすがに「こんな近くに!」と、びっくりしましたね。ミッチーナからチプイに至る道はしょっちゅうがけ崩れが起こる川沿いの難所で、普通は雨季に行くような場所ではないんですが、この時期に行かないと蝶が採れないので、まあしょうがないんですよね。
そういえば、一回だけ突き指をしたことはありました。カチン州北部のピョンイン(Mt.Phonyin)山を訪れ、現地のキャンプを尾根伝いに登ったときのことでした。蝶がいて捕まえたと思ったらその拍子によろけてしまって岩に小指を付いてしまったんですね。その時は突き指程度だろうと、とりあえず指をぐるぐる巻きにして処置し、予定どおりに帰国したんですが、腫れていたし、痛みもあったので、整形外科に行ったら「自分で関節を入れたんですか?」と聞かれました。つまり脱臼した後に、いつのまにか自分で関節をもどしていたようですね。とりあえず、これまでにあった事故と言えばこのくらいです。
編集部:ミャンマーの人で、蝶を集めることを趣味としている人や、専門家などは出てきているのでしょうか?
静谷さん:ミャンマー自体、まだマニアが出てくるほど経済力が上がっていないため、現地人の蝶愛好家はまだいないと思います。中国は増えて来たようですね。ミャンマーでも、これからは出てくると思いますし、本当はその方が良いと思いますね。ゆとりがでてくるというか。ヤンゴン大学で蝶を研究している動物学の先生はいますが、ミャンマー人で、僕が会ったことのある蝶の専門家はその方だけです。
実は、蝶の博物館がピンウールウィンにあります。建物は立派ですし、そこに日本人の方が載せた新種のホロタイプも展示されています。ただ困ったことに、空調は管理できるようなのですが、湿度コントロールができておらず、スタッフも教育されていない。僕が訪れたときは標本にカビが生えてしまっている状態でした。貴重な資料なのに、もったいないことです。
編集部:ミャンマーでの蝶探しの旅はまだまだ続きそうですか?
静谷さん:本格的にミャンマーに来るようになってから今年で17年目になりました。今回5月に来たので42回目。それでも、もっと来たいと思っています。僕が訪れたこの17年間で9種も新種が見つかっている国なんて、他にないと思います。もっと出てくると思いますよ。
蝶のためにここまでやって来る、そういう馬鹿な人間が世の中にはいるんですよ(笑)。
(写真:後藤 修身、文:菊池 美弥)
プロフィール
静谷 英夫(しずや ひでお)
1940年東京生まれ。ミャンマーのZephyrus (ミドリシジミ類)研究の巨匠。蝶が好きな昆虫少年としての子ども時代を経て、大学入学後、先輩の蝶研究者に指導され、蝶の中でもZephyrusという仲間に興味を持つようになる。64年三菱商事入社後も、中国などに出向いて蝶の探索を続け、98年3月退社後からミャンマーを舞台とした蝶の研究活動に専念。ミャンマー訪問は15年5月で42回目。
編集部脚注
注1:Zephyrus(ゼフィルス) - 「ミドリシジミ類」をさす言葉。ミドリシジミ類は蝶目(鱗翅目)アゲハ蝶上科シジミ蝶科に属する蝶の一種、樹上性のシジミ蝶の一郡のこと。
ミドリシジミ類は、かつては、ミドリシジミ属 (Zephyrus) という単一の属に分類されていたが、蝶の分類学が進化し現在はいくつかの属に分けられているため、Zephyrus という属の名称は存在しない。しかし、愛好家の間では今でもシジミ蝶科のうちミドリシジミを含む一群(ミドリシジミ族)をまとめて「ミドリシジミ類」としてZephyrusという言葉で呼ぶことが多い。
注2:記載 - 蝶が新種かどうかを調べるために、すでにその蝶が新種として名前が付けられていないか調べる必要がある。その手段としては、図鑑を調べる、対象となる蝶の分類に検討を付け、その仲間について原記載された文献やタイプ標本(蝶の種類を判定する際に用いられる、基準となる標本。世界に一つだけしか存在しない。)を見る、あるいは専門家に相談するなどの方法がある。そこで新種との判断がなされた場合は、その種について学会誌などに新種として「記載」するというプロセスを踏む。
参考:
ぷてろんワールド
注3:ホロタイプ – 正基準標本。動植物の新種発表をするとき、その種に万国共通の名称である「学名」を与える。新種として判断するためには、通常複数の標本を調べ、その標本をタイプ標本(いろいろな特徴を調べ観察を行った証拠となる標本)として指定する。そのうち1個体を「ホロタイプ」として指定し、新種の特徴はその個体に基づいて記す必要がある。ホロタイプは、そのほかのタイプ標本と共に、博物館などに永久保存される。
注4:属 - 生物学上の分類のひとつ。大きい順に「界」→「門」→「網(こう)」→「目」→「科」→「属」→「種」の段階がある。ちなみに、蝶は「動物界」「節足動物門」「昆虫網」「鱗翅目」に入れられる。