ミャンマーラウェイにかける金子大輝選手

ミャンマー伝統格闘技ラウェイ(Lethwei / လက်ဝှေ့)。グローブなしでバンテージだけで戦うというスタイルから過激なイメージを持たれ、日本はじめ海外からも注目を浴びつつある。そのラウェイに日本から飛び込んできた若者がいる。金子大輝選手だ。金子選手は2017年12月にヤンゴンで行われたエアカンボーザチャンピオンシップ67Kg級のタイトル戦で、ミャンマー人チャンピオンに勝って新チャンピオンになった実力の持ち主でもある。

今回は、ヤンゴンのラウェイジムで練習するためにミャンマー滞在中だった金子選手に話を伺った。

ラウェイ(Lethwei)とは

―ラウェイの歴史を簡単に教えて頂けますか?

1000年以上の歴史があると言われています。バガン時代に既にあったという証拠として、バガン遺跡に壁画が残っています。有名なダマヤージカ(入ってすぐのところ)やパゴダNo.1255に描かれています。タイのムエタイより歴史が長く、昔、ラウェイに影響されたムエタイは「ラムエタイ」と呼ばれていたとの話もあります。

バガン、ダマヤージカ・パゴダに残るラウェイの壁画バガン、ダマヤージカ パゴダに残るラウェイの壁画

―ラウェイ選手にはカレン人が多い印象がありますが、いかがでしょうか?

はい。カレン人が多いようですね。トップクラスにはカレンが多く、8割は占めているのではないかと思います。胸にカレン国旗のタトゥーをしている人もいます。男の子は、習い事感覚で取り組んでいるようです。私の所属ジムの選手は全てカレン・クリスチャンです。仏教徒のカレンにも強い人が多いですが、試合の際などの祈り方が異なるので見分けることができます。カレンが多い村の祭りのラウェイも盛り上がりますよ。飛び入り参加もアリです。危ない場合は、すぐ止めてくれますので大丈夫。

―ラウェイのルールについて教えていただけますか?

バンテージを巻いただけで戦います。パンチ、肘・膝・足蹴り、頭突き、関節技、投げ技(金的はわざとでなければ)、大抵のことはOKです。目突き、かみつき、ひっかき、手に口を突っ込む、といったこと以外は何でもありといった感じです。

―バンテージだけで手はだいじょうぶでしょうか?

パンチの際、負傷することもあります。拳より頭の方が固いので、パンチを額の固い部分で受けたりもします。ラウェイ選手の拳は固く盛り上がっていますよ。

―リングの規格はボクシングと同じくらいでしょうか?

ボクシングより少し広いです。リングコンディションは、よいとはいえず、床は滑りやすいです。

―顔や体がテカテカ光っているようですが、それも滑りやすい一因となっているのでしょうか?

そうですね。切れにくくするためにワセリンを塗っています。拳がすべります。ボクシングと違い、制限量が決められていないので、たくさん塗っている選手もいます。

―勝負はどう決まりますか?

3分5ラウンド制です。4回ダウンでT.K.O.(テクニカルノックアウト)となります。1ラウンドで3回ダウンした場合も同様です。また、8カウントで立てなければ、レフェリーストップとなります。

得点制ではないので、5ラウンド戦い抜けば引き分けです。引き分けを狙って時間稼ぎをするなど、選手の戦闘意欲が見られない場合、レフェリーが止めることもあります。

―ランキングがなく、チャンピオン制と聞いたことがありますが、どうなっているのでしょうか?

はい。ランキングはありません。各大会で勝てば、その大会のチャンピオンと認められます。ラウェイは無差別級も多く、無差別級で勝つと本当に強い選手だと言われます。今は、体重別に分けることが多いです。

―ウェイト制はどうなっていますか?

4~5Kg毎に分けられます。例えば、現在行われているトーナメントは、67、71、75 Kgなどと、4Kg毎となっています。ミャンマー人のラウェイ選手は、67、71 Kgが最も多いです。なお、ボクシングのように計量前に減量するなどということは一般的ではないようです。

―ボクシングでいうところのWBAとかWBCのような団体がラウェイにはあるんでしょうか?

ありません。ラウェイではジムと選手とプロモーターが独立しています。プロモーターは最近増えてきました。興行を開ける、国のライセンスもあります。試合への出場は日本のような所属団体による縛りはありません。基本的にプロモーターから所属ジム会長を通じて選手に話が来ます。選手に直接話があった場合でも所属ジム会長に相談して返事をします。基本は一試合毎の契約です。

大会はいろいろとありますが、有名な大会が4つあって、そこで勝つとチャンピオンとして認められます。ただし、毎年大会が行われているので、その年の大会のチャンピオンということになります。ゴールデンベルトチャンピオンシップが、昔からある最も有名な大会です。

―気候がはっきり分かれるミャンマーでは、開催時期の偏りが見られる行事や伝統芸能も多いですが、ラウェイの試合はいかがでしょうか?

年間を通して行われています。先程お話しした、有名なゴールデンベルトチャンピオンシップも雨季に開催されます。

―試合前後に選手が踊りますが、どのような意味がありますか? 踊り以外でも、試合中ずっと音楽が演奏されていますね。

ラウェイの神様(ナッ神)に捧げる踊りです。ナッ神へのバナナとココナツの捧げものは、ラウェイの場合でも捧げられています。ミャンマー伝統楽団サインワインは、試合の流れに合わせて演奏し、盛り上げてくれます。生演奏に加え、マイクで囃し立てる人も1人います。

―ラウェイ選手の生活について教えてください

私の所属するジムでは、朝6時からジムの近くを走った後、8時頃までジムで練習します。一旦解散し、15時頃から午後の練習を始め、17時頃終わります。これら2回の練習の間は自由時間で、ジムに残って一般の人が趣味やダイエットで行うラウェイ練習の指導を行う人もいます。練習は月曜のみ休みです。

―ラウェイ選手の収入はいかがでしょうか?

基本的にはファイトマネーですので、試合に出場しないと収入はないことになります。一般の人にラウェイを教えたり、別の仕事も行ったりすることで、それ以外の収入を得ている選手もいます。

―ラウェイジムの収入はいかがでしょうか?

選手から納められるファイトマネーの一部や、一般人からのレッスン料です。

―ラウェイ選手はいつ頃まで現役を続けられるのでしょうか?

30歳くらいで引退する選手が多いです。25~27歳が選手のピークのようです。引退後は、ラウェイジムのインストラクターをする人もいれば、全く別の仕事に就く人もいます。

ラウェイの試合ヤンゴンのテインビュースタジアムで行われたラウェイの試合

警察官希望から格闘技の世界へ

―ラウェイについて、詳しく教えてくださりありがとうございました。次に、金子大輝さんご自身についてお伺いさせてください。

両親が高校まで体操を行っており、私と弟も体操を行っていました。高校生の時に肩をこわしてしまい、大学では違うことに挑戦したいと思っていました。高校の体操部を引退し、3年生の12月からは、格闘技マンガの影響もあり、地元埼玉の総合格闘技ジムへ通い始めました。

高校卒業後は国士舘大学で法律を学びながら格闘技の稽古を続け、2年生の時に日本でプロデビューしました。4年生の時、将来は警察官になりたいと国家試験を受けましたが、肩の手術と重なったこともあり2次試験で落ちてしまいました。もう一度試験に挑戦する道もありましたが、格闘技に集中することにしました。

―このときにはラウェイに出会っていたんですか?

いえ、まだラウェイには出会っていませんでした。初めての格闘技の試合は2015年11月の中国湖南省でのキックボクシングです。ダウンを3回とることができましたが、軽く切れただけで引き分けとされてしまいました。思っていたより手応えがあり、海外の人に受け入れられたとも感じ、この経験が原点となりました。その後も、国内および中国で試合を続けました。

ラウェイに出会ったのは2016年1月です。ミャンマーでNPO活動をしていた高森拓也さんに日本で出会い、ラウェイの話を初めて聞きました。このとき、チャンスだと思いました。そして翌月の2月にミャンマーで初めてラウェイの試合に出ました。

ラウェイの世界へ

―初めてのラウェイの試合、どうでしたか?

2016年2月12日にヤンゴンに着き、翌日の13日に計量、このときに初めてラウェイの詳しいルールを聞きました。そして14日に試合でした。1ラウンド目は相手を追い込みましたが、2ラウンド目で打たれドクターストップで負けてしまいました。試合には負けましたが、観客が応援してくれて手応えを感じました。

2016年2月14日の試合/ヤンゴン

―はじめてのミャンマー、どんな印象でしたか?

ミャンマーについての予備知識はほとんどありませんでした。ジャングルの中で試合をやるのかと思ったほどです。でも、ミャンマーの人たちはほがらかでやさしい人が多かったです。日本はまだ寒い2月に行ったので、気候も暖かくて過ごしやすいと感じました。犬が道端で寝転がっているのがかわいかったですね。ミャンマーという国もラウェイも自分に合っていると感じました。その時は、ラウェイを足がかかりにして日本で有名になりたいと思ってました。

―ミャンマーでの試合の後もラウェイの試合を続けたんでしょうか。

はい、5月に日本でラウェイの試合をやりました。その興行はキックボクシングが中心でしたが、8試合中2試合がラウェイの試合でした。私はミャンマー人チャンピオンとの試合で、相手から頭突きのカウンターをくらってしまいました。直後にタイムをとり、私から逆にラッシュをかけてダウンを取ったのですが、その後に相手のパンチが入ってダウン。結局負けました。

9月には沖縄で日本人同士のラウェイの試合をやりましたが、このときは勝ちました。

―その頃は今所属しているタッティークラブとは関係なかったんでしょうか。

タッティーラウェイクラブには高森さんを通じて練習生として推薦してもらいました。初めてクラブに来たのが沖縄の試合の後の10月半ばで、10日間ここで過ごしました。そして、タッティークラブの選手として12月29日にインセイン (*1)で行われたカレン新年ラウェイ大会に出ました。

相手はミャンマーラウェイの英雄ワンチャイの息子で18戦無敗を誇るルワンチャイでした。1ラウンドでダウンを取り勝ちました。ただ、試合前日に私がFacebookに「絶対に勝つ」と書いたコメントが問題になりました。クラブの人からそんなことを書いてはいけないと注意されんたんです。

その後、翌年2017年3月20日にミャンマーチーム対外国人チームという大会がヤンゴンであり、私はミャンマーチームのメンバーとして出場しました。相手はイギリス人選手でしたが、2ランド目でKO勝ちしました。

2017年3月19日の試合/ヤンゴン、インセイン

(*1)インセイン:ヤンゴン北東部にある地域。ヤンゴンの中では昔からカレン人が多く住み、カレン新年を祝う新年祭もここで行われている。

無茶な試合

―この後の試合が大変だったそうですね。

その後、5月に日本でやった試合で負けました。この大会はキックボクシングの大会でしたが、2試合だけラウェイの試合も組まれました。僕の試合は無差別級で、10Kg以上重いコンゴの選手との試合でした。試合前には熱が出て(後で肺炎になった)コンディションも最悪でした。

―そういうのがあって、もっと地道にラウェイをやっていこうかと。

そうですね、この頃ラウェイが日本で流行りだしていたんですが、自分があまり評価されないなということを感じてました。また、大晦日の大きな舞台(RIZIN)に上がれたらいいなという気持ちもあったんで、重量級の選手と試合をやって勝ったら上に上がれるのではと思ってました。本当に無茶なんですけど、それくらいの焦りが当時はありました。

結果はやっぱり無茶がたたって、試合前に肺炎になって咳も熱も出たし、体重が増えなくて試合にも負けてしまいました。ジムのタッティークラブのみんなも日本に来ていたんですが。

―体重が10Kg以上のコンゴの選手とマッチを組んだというのは、それはプロモーターが?

それもありました。プロモーターさんとしても焦りがあったのかもしれないですね。他にもラウェイを初めたところがあって、それも盛り上がりそうだと。

―この5月の試合は肺炎にかかって試合に出たんですか。キャンセルできなかったんですか?

いや、キャンセルすべきでしたね。なぜ無理やり出場してしまったか・・・。あの時は何もかもおかしかったような気がします。普通ボクシングなどだと検診もあって体温を測ったりするんですが、そういうこともなかったです。

―もしキャンセルするとなると大変ですか?

大変ですね。チケットの払い戻し、興行的にも痛いですし。ただ、それは体には代えられないし。キャンセルすべきだったと思います。

―その試合自体はタッティークラブの人たちから反対があったんですか?

反対でしたね。

―じゃ、それを押し切ってやっちゃって肺炎にかかって、ボロボロですね。

もう、ボロッボロッですね。散々な目にあいましたが自業自得です。

―逆らえない状態になって

そうですね。何だか乗せられてしまって。乗せる側も何かに縛られているような。みんな何かに取り憑かれたような感じでした。

―この試合の後はどうしたんでしょうか。

入院の後、顔の腫れが引くまで療養してました。これからどうしようかと思っているときに、7月29日にミャンマーで試合をすることになりました。5月の試合から2ヶ月だったんですが、無茶しながら練習を再開して。試合は、毎年雨季の時期にやるゴールデンベルトチャンピオンシップという大会です。

ラウェイをやめようと思った

―ちょうど1年前ですね。これは毎年やっているんですか。

ゴールデンベルトチャンピオンシップはトーナメント形式の試合を1週間に1回こなしていくんですが、7月29日が決勝戦でした。この試合で、僕が2016年2月に初めてミャンマーに来て対戦した相手と再戦をすることになりました。

―結果は?

負けました。5月の試合に負けてまた無理をした時期だったんで。日本で教えてもらっていた師匠が元ボクサーで、パンチを教えるのが非常に上手いので、7月の試合はパンチだけにかけようと思って。練習期間があまりないので、蹴り技は全くといっていいほど練習しなかったんです。試合は初戦と全く同じような流れでした。1ラウンド目は圧倒しましたが、2ランド目に巻き返されてしまいました。パンチが交錯する中で相手が一瞬のけぞったと思ったら頭突きがパチンときてここに、まぶたのあたりに当たって、そこが腫れて切れてしまいました。結局、出血によるドクターストップで負けてしまいました。

2017年7月29日の試合/ヤンゴン

―また負けてしまった・・・

このときは同じ相手と再戦になったんですが、負けてしまいました。2連敗していよいよだなって・・・。

―相手はチャンピオンですからね

そうですね。でも、表彰台で自分の隣りにいる選手の腰にベルトが巻かれるというのを見て、何かがちょっと違っていたら自分の腰に巻かれていたかもしれない。それから考えるようになりましたね。

―ちょっとした違いで勝敗が分かれる

はい。それもしょうがないんです。時の運で。そういうことがあって、後の12月にベルトを巻くことができたときはガンガン泣いてしまって。

―7月29日にミャンマーで試合をやって負けて、その後が12月ですか

その時点ではラウェイから離れようと思ってました。7月に負けた時点で。2連敗で。

―えー、やめようと思った! なぜ?

いやーもう何というか。2連敗したし傷もかなり作っちゃって。

―前の日本での試合のショックが大きくて、その後また負けて

試合が終わった日の夜には親に電話して、帰ってくるからと。警察官になりますと言ってました。日本でお世話になっていた師匠からは、「お前は最高だから。よく頑張った」と。

―試合に負けた時点でやめるつもりだったと

試合当日の夜、もうラウェイから離れるべきなんだなと思いました。心配もかけたし、結果も出なかったし、今が考えどきなのかなと思ってました。

―ラウェイをやめて?

定職について。ラウェイ以外でもミャンマーに来れることはあるかなと思って。でも、翌日に大きく変わることがあって。7月29日の試合がミャンマーで生放送だったんで、それをかなりの人が見てくれていたようなんです。

ミャンマー人の応援

―この時の試合がライブでテレビに流れていた

そうです。プロモーターさんのはからいというか、元々の試合順を変更してもらって僕の試合がテレビに映るようにしてもらっていたんです。サイゾーモウさんというミャンマーで昔からラウェイの興行をしているプロモーターさんで、生放送枠にしてもらって、それをかなりの人が見てくれたみたいです。帰りに、もうラウェイ選手としてミャンマーに来ることもないのかなと思っていたところ、空港に着いたらいきなり、「あっ、カネコ、試合を見た」と。

―空港にファンがいたんですか

出会う人が何人も「あっ、カネコ」とか、ずっとついてくる人もいて、「次いつ帰ってくるの」とか。荷物を預けるときも、「生放送で試合を見たよ」と言ってくれたり。

―いろんな人が声をかけてくれた

はい。極めつけはANAだったんですが、機長さんが僕の試合を見ててくれたらしくて、CAさんを通じて、ファンだから頑張ったからいい席に座らせたいということで、足が伸ばせる一番前の席がたまたま空いていたのでそこに座らせてくれたりして。

本当に信じられないくらいに、ラウェイから離れようと思った自分を引き止めるじゃないですが、また何か背中を押してくれるようなことが続いたんで。ジムのみんなもいたし。あのドクターは止めたけど、止めなかったらカネコが勝っていたと言う人がミャンマーのファンの中に多かったし。

―試合自体は優勢だった?

1ラウンドは優勢でした。2ラウンド目は切れちゃったから止められてしまったんですが。

―空港でファンから声がかかったりとか、ANAの機長からメッセージがあったりして心がぐらぐらと

はい、これは続けてもいいのかなと。落ち込んだのは落ち込んだんですが、背中を押してくれるようなことがあったので。

再起を目指して

―7月に日本に帰って、それから練習?

練習をして、勝っても負けてももう一回チャレンジしたいと。親は反対だったんですけど。

―このときは大学は?

卒業してますね。バイトしてました。ラーメン屋で。師匠が元々ラーメン屋の店長さんだったんで。

―ラーメン屋はどこですか?

東大宮の伊那町にある楓神です。今はお店はあるんですけどオーナーさんが変わりました。内装が完全にきれいになってます。

―師匠はまたそこで働いていますか?

師匠は関根悟史さんという方なんですが、今は違う仕事をしてます。師匠は交通事故の影響で体を悪くされていたんで。

―じゃあ、日本に帰ってまたラーメン屋で練習しながら

そうですね。体操の練習もしながら。週に一回母校の高校で機械体操のトレーニングをやっていたんです。負けていた時期は行ってなかったんです。勝っていたときにやっていた生活のリズムに戻しました。バイトも以前のように一生懸命やってという生活になりました。7月に日本に戻って、8月9月にここの傷が一回また開いちゃったんですが、それをまた縫ってもらったりしながら。

―当時はもう大学卒業して、大学時代の友達は社会人になってますよね

ラウェイ関係の方たちと友達が増えたり応援してくれる人が増えたわりには、なかなかまだ形になってなかったんで、試合をしてお金をもらって生活できるとかそういう段階ではなかったです。

―で、日本でトレーニングやって12月にチャンピオン戦

その前に、11月に日本でラウェイの大会があるらしいという話を聞き、プロモーターさんのところに話を聞きに行ったところ、11月に日本で試合があるからそれに出ることができると言われました。そのときの相手は70Kgぐらいの自分と体重の合わないチャンピオンを提示されて。それはもちろん断ったんですけど。

―そのときにはジムのアドバイスがいろいろあって

ミャンマー流、ミャンマーのジムの流儀に絶対に従おうと。

―11月の話は断ったと

11月の日本大会はお断りして12月のミャンマーの大会にでることになりました。エアカンボーザのチャンピオンシップ大会が年1回あるんです。2017年12月10日に第4回エアカンボーザチャンピオンシップの話をいただきました。

チャンピオン戦を目指して

―ミャンマーには(チャンピオン大会が)4つくらいあると言ってましたね。

はい、4つベルトがあって。相手は同じ大会の昨年度のチャンピオンでした。

―このエアカンボーザの興行だと、出てくる団体はだいたい決まっているんですか?

いろいろですね。ミャンマーのプロモーターさんは選手の貸し借りというかあまり縛らないので。

―じゃあ、このときの大会がミャンマーで4つあるうちのチャンピオン大会のひとつだったと

はい、ゴールデンベルトチャンピオンシップとか、フィフティーメディアチャンピオンシップとか、ラウェイワールドチャンピオンシップとかいろいろある中で、エアカンボーザのチャンピオンシップでした。

―他の大会のチャンピオンがこれに出るというのもあるんですか?

そうですね。出ますね。たとえば一番歴史のあるゴールデンベルトチャンピオンシップのチャンピオンがエアカンボーザのチャンピオンシップに出たりするし。ボクシングのようにWBCの選手はWBCの試合にしか出れないとかいう感じではないです。

―例えばボクシングではWBA、WBCとか年に何回か試合をやってますよね

はい。日本やアメリカにコミッションがあって。

―そういう形ではなくこういうチャンピオンシップ大会がいくつか他にもあって、ゴールデンベルトとか、それが年に1回ずつ。

はい、ゴールデンベルトチャンピオンシップは雨季の時期に1週間に1回ずつ試合をやっていって最後に勝った選手がゴールデンベルトチャンピオンシップのチャンピオン。

―じゃあ、日本というか世界のWBAとかWBCとかの団体のチャンピオンという形ではなく、有名な大会がいくつかあって、そこで優勝するとその年のその大会のチャンピオン

はい、そうです。

―わかりました

勝利者賞としてベルトを貰えるような形ですね。そのベルトには選手を拘束する効力はないという。

―なるほど

ベルトの仕組みがボクシングとかとはちょっと違う。トロフィーがベルトの形をしているようなものかもしれないです。

―それで、エアカンボーザチャンピオンシップの話が来たときに、じゃあやろうと。

やろうと。

―で、ジムにも相談して

はい、相談して。ゴーゴーさんも同じ日に出るから。またミャンマーで試合ができて、またタッティークラブの選手として同じ日にできるんだったら、こんなありがたいことはないなと思って。しかも、7月に負けてベルトが取れなかったんだけど12月にまたベルトが取れるかもしれない試合に出られるということは、これは本当にありがたいなと思いました。

―たとえば、昨日私が見た大会ではトーナメント形式でファイナルまで何試合かする形でした。このエアカンボーザの場合は?

これはワンマッチでした。判定のない伝統的なルールの試合が7試合ありました。引き分けになったらベルトは双方預かりになって、チャンピオンはなし。けっこう預かりの試合が多かったです。

―この12月10日の試合はどういう感じでしたか?

試合の1週間前にミャンマーのジムに着いて練習開始して。12月はミャンマーのベストシーズンで、乾季なので雨が降らないし暑すぎることもないし。

―2月、3月はだんだんと空気が濁ってくるけど、12月は雨季明けで空気もきれいだし

かなりいいコンディションで、心構えも出来てましたね。前回の7月の試合の後はラウェイを完全にやめようと思っていたんだけど、またこうしてミャンマーに帰ってくることができたて嬉しかったです。1日1日を感謝の気持ちで練習しようと思って。仲間もいますし。

―7月と12月じゃ季節が全然違いますからね

その時の心境を表す感じの季節。雨季が明けて戻ってきて練習に来たら・・・。結果はともかく、心身充実した試合ができるように過ごしてました。

試合が始まった

―試合当日が来ました。試合はどう進みましたか?

試合は本当に減量もうまくいったし、体重もしっかり戻ったし、コンディションもよく風邪とか熱とかもなく試合を迎えました。相手と向き合って。結果から言うと、1ラウンドで勝つことが出来ました。

1ラウンドで相手がストレートで倒れて起き上がれず、タイムで2分間休憩をはさみました。その後、ボディーブローで再度ダウンを取りました。前回はパンチだけで行ってしまって負けたという反省も踏まえて、キックもちゃんと練習しました。

―そうだ、その試合はYoutubeで見ました。あのボディーブローすごかったですね。

あれが炸裂しましたね。左。相手のレバーに。マウスピースも吐き出してしまって。

―ボディーブローは苦しいらしいですね。

苦しいですね。倒れ方も崩れ落ちてましたよね。じわじわと効いてくるんですけど。

―パンチが当たる場所でスイートポイントってあるんですか?

ありますね。ここですね(と、自分の体を指す)。

―ボディーブローはよく見るけど、あれだけ急に倒れるというのは

師匠の教えもあるんですけど、素手なんでけっこうお腹でもオイルとか塗っているから滑っていくんですよ。いかにパンチを直角に当てるか。角度が違うと拳が滑っていくんで。直角に当てて力が逃げないように。

2017年12月10日の試合/ヤンゴン

試合に勝って号泣

―勝った瞬間、どうでしたか?

いやもう、ガン泣き、号泣でしたね。本当にあのボディーブローが決まってもミャンマーの選手はタフだから立ってくるだろうなと心構えをしていました。立ってきても戦えるように気を抜かないでいたんですけど、レフェリーが試合をストップした瞬間に号泣で、終わった瞬間に泣いてましたね。すぐに、それはジムの方の教えもあって、それはタッティージムの哲学でもあるんですけど、試合が終わったらすぐに相手の選手を介抱しに行きました。頭を下げて同じ位置に。僕はめちゃくちゃ泣いてましたけど。

―ラウェイを見ていると、勝った後に勝者が敗者に対して気遣ってますね。あれが普通なんですか?

あれがだいたい普通ですね。勝って、ワ―と走り回ったりとかロープに駆け上がったりとかラウェイではないですね。ショーマンシップというようなところがない。そこは北米的なパフォーマンスとか大きなことを言ったりとか、間違っても倒れた選手に悪いことを言ったりとかしないです。もしそういうことをしたら出場停止になってしまうと思います。ラウェイのリングは土足厳禁ですし。

―以前、Facebookに「絶対に勝つ」と書いたときのことをもう一度聞かせてもらえますか

あれはカレン新年祭のときですね、2016年12月、ラウェイの4戦目でした。その時は、自分を鼓舞するためもあったのかもしれないですけど、「明日絶対倒します」とFacebookに書きました。今だと全く考えられないんですけど、「I will knock out him absolutely」というようなことを書いたら、すぐに消しなさいとタッティークラブの人から注意されて。そのときは分かってなかったということですよね、タッティークラブ、ラウェイの哲学ということが。

―号泣するほど嬉しかったんですね。

表彰台の前に行って、ウィン会長がハグしてくれて “You did it again.”と言ってもらって。7月の段階で何もかも終わってラウェイの選手としてジムに帰ってくることはないと思っていたので。嬉しくて。表彰台では今度は相手の選手ではなく自分の腰にベルトが巻かれました。そのときにまたこみ上げるものがあって。

RIZINに出たいと気持ちがあったが、何か違う

―勝って、俺はこれからもラウェイをやるぞと

絶対ラウェイだと思って。これだけみんなに愛されて、ジムのみんなも会長さんも。自分がラウェイをやりたいという気持ちと、ジムのカネコを育ててあげたいという気持ちがあったので。そういうところでも頑張りたいという気持ちがありました。

ただ、今はもう考えてないんですが、その時には日本のRIZINという大会に出たいという気持ちもあって。ラウェイで名前を上げて大きな舞台に出たいと当時は思っていました。その舞台がRIZINです。ちょうど同じ時期に日本でラウェイのベルトが与えられるという試合があって、その大会で勝った選手がいました。その選手がラウェイのチャンピオンとして大晦日にRIZINに出ることになりました。ミャンマーでチャンピオンになって日本に帰ってきた後なので、その時は複雑な心境でした。

―私は格闘技に詳しくないんですが、RIZINというのは日本の格闘技の大会としては一番有名なんですか?

そうですね、フジテレビで中継もあるくらいなので、昔のPRIDEと同じような位置づけにあると思います。

―試合ではいろんな格闘技、キックボクシングとか

基本的には総合格闘技の試合が多いんですけど。その中でキックボクシングの試合も組んでいます。ラウェイ日本大会でチャンピオンになった選手がそのキックボクシングの試合に出ました。ラウェイチャンピオンとして戦いましたが、2ラウンド目にKO負けしてしまいました。

―本場ミャンマーから見ると日本のラウェイの試合は違いますね。

ミャンマーではみんなからすごく応援してくれている一方で、日本ではあまり評価されないという温度差を感じている時期だったんです、その時は。

―それまでは日本で評価されたいと思っていたけれど、どうも違うんじゃないかと。

ちょっと違うんじゃないか、日本には居場所がなさそうだと。どうしようかなと思っているうちに、日本の中のミャンマー社会の人たちと出会うきっかけとなった出来事がありました。

日本の中のミャンマー社会との出会い

―どういう形で出会ったんですか?

池袋でシャン民族の方のお祭りが2月にあるというのを聞いて、日本でミャンマーのイベントがあるんだったら行ってみようと思いました。そこでまた僕のことを知っている人がいるかもしれないし、いなくてもすぐ帰っちゃえばいいかと思って。あまり大きな期待をせずに行ったら、入った瞬間に「あっ、金子選手ですね」と言ってもらって。武蔵小杉でシャン料理の店をやっている方にいきなり話しかけてもらって、「ラウェイいつも見てます。カネコ選手ですね」と。知り合いがいなかったらすぐ帰ろうと思っていたけど、いきなり話しかけてもらって嬉しくて、その後にすぐに(関係者のいる)裏に連れて行っていかれて、シャン民族の衣装とか着せられて。

―それまで、日本の中のミャンマー社会との交流は

なかったですね。

―初めて?

はい。ちょくちょくゴールデンバガンとかに行ったりしてたんですけど、こういうのは初めて。

―ゴールデンバガンではこういうことは

ラウェイやっている金子くんという感じで、応援してもらっていました。でも、本当に知らない初対面の方にもこうして認知してもらったのは初めてです。まるでミャンマーにいるみたいな歓迎のされ方を日本で体験することができて、すごい嬉しくなっちゃって。日本にいてもミャンマーの人たちはやっぱり知っていてくれて応援してくれているんだと、嬉しくて。

―それまで、日本の中ではミャンマーとの関係とかラウェイとの関係が薄れていた?

かなり薄れて。浮いた存在になっていたかもしれないです。

―ミャンマー人の間ではすごく有名だけど、日本の中では・・・

金子って誰だ? 金子は日本のジムに所属しないでミャンマーのジムに所属しているらしいみたいな。ミャンマー行ったほうがいいんじゃないのみたいな感じが。

―日本の中の格闘技の世界の中では、例えばミャンマーのラウェイとかタイのムエタイとかをどう思っているのですか? やっぱり本場のあいつらは強いぞ、あいつらの方が本物だというような。それとも、田舎でやっているやつらみたいな。どっちなんでしょうか?

ムエタイに関してはムエタイファンがいて、キックボクシングとムエタイは似ているんで。本場のルンビニとかラジャラムダンとかムエタイにはそういう伝統スタジアムがあるんで、そこでベルトを巻いた選手はすごい評価されていて、そういう選手は日本でも割と試合がしやすいので。

―まあ、日本はあまり気にしなくてもいいのでは

全然気にしていないです僕は。ある程度ちゃんとお金とか貯まったら、ミャンマーに住んで腰を据えてラウェイやっていきたいなと思ってます。

―ラウェイのファイトマネーも昔よりずっと上がっているでしょうね

今がたぶんファイトマネーが2000ドル前後です。それがちょっとずつ上がっていけばこっちでも生活がしやすくなるし。また、やり方はいろいろあると思うんですが、来年あたりこちらに住んでラウェイに専念したいと思って。

ー今、24歳? まだまだ

はい、気を抜かずに頑張りたいです。2月のシャンのお祭りのときにマ・へーマーさんにも会って、横浜で踊りを踊っていたキンモーモーさんの紹介もあって、ミャンマー語も絶対習ったほうがいいよと。正直、それまではラウェイをきっかけに大舞台に上がるつもりだったから言語まではいいのではと思っていたけど、せっかくだから言語も勉強してラウェイ大好きだしミャンマー大好きだから。それで、今年の4月から勉強を始めて。

―4月からへーマーさんのところで。(*2)

はい、そうです。そこで出会ったんですよね、みなさん(ミャンマー大好き日本人)と。

(*2) 高田馬場にある、「日本ミャンマーカルチャーセンター」

日本でのラウェイの試合に勝ったが・・・

―試合の方は?

6月29日です。12月からけっこう空いちゃったんですけど、なかなかミャンマーでの試合も決まらなくて。

―それはどういう試合だったんですか?

後楽園ホールであった試合で、ラウェイ9戦目の試合で、現地でベルトを巻いて帰って後の初めての試合です。

―ミャンマーの選手も?

はい、ミャンマーの選手も。全6試合中、ミャンマーの選手が4選手ぐらいいました。

―試合はどうでしたか?

2ラウンド目にKO勝ちで。

―相手はミャンマー選手?

ミャンマーのチャンピオンです。その選手はゴールデンベルトのチャンピオンでした。ゴールデンベルトはミャンマーで一番伝統的なチャンピオンを決める大会です。

―KO勝ちしたということは、日本でもちょっと話題になった?

と思ったんですけど。

―ミャンマーでの反応とは全然違う?

ミャンマーのほうがいいなと、その時はゴーゴーさんも試合で日本に来ていました。僕も自費でタッティージムのみんなと同じ東京シティーホテルに泊まって、試合の前の練習もホテルの中の部屋でして。あとは、食べられるものとか限られてくるんで、コンビニでどんなものを食べたいのかとか聞いたり、食事なんかもサポートして。

大会は日本とミャンマーの対抗戦という意味合いもあったようです。でも、僕自身はミャンマーチームというかタッティーチームだと思っているので、全部つきっきりでケアしました。会場までのエスコートもしました。そうしたことが日本側から批判されたりしました。

日本よりミャンマーのほうが自由?

―その辺はミャンマーのほうが自由ですね

自由ですよね。やっぱり日本はあまり合わないのかな。僕がラウェイをやるには、やっぱりタッティーラウェイクラブのサポート受けてラウェイができる場所が一番だと思って。

―6月29日の試合で勝ったけど、そんなに嬉しくなかった?

嬉しくなかったです。むしろ、負けたときみたいな気持ちになってしまって。同じジムのゴーゴーさんが負けてしまったからです。体重差で。

―体重差?

73Kg契約で、ゴ―ゴーさんは71.8Kgしかなくて。相手の日本選手は80Kgから73Kgに落としてくるんで、計量後、そこからまたご飯食べて水分をとるんで、80Kgぐらいまで戻るんですよね。試合のときは全然違う体格差で試合をすることになるんです。二回りくらい違います。相手選手の投げ技でゴ―ゴーさんが後頭部を打っちゃって立ち上がれなくなり、タイムで続行したんですけどやっぱりやられちゃって。

―6月は勝ったけどあまり嬉しくなくて、自分のホームグラウンドはミャンマーだと

試合が終わってすぐくらいに、次の試合は決まってないけどとりあえずミャンマーに行けば何かわかるかもしれないと、ミャンマーに行こうと来ました。

―今回はいつ来たんですか?

7月23日です。

―23日から今日は8月8日。それは練習だけで?

練習だけです。

―練習だけで来てどうですか?

めちゃめちゃ心が救われました。いろんなことがあったんで。

―これから具体的に試合は?

雰囲気的には9月か10月(*3) ですけど、いつ誰というのは決まってないです。ミャンマーでやるというのは決まってますけど。

―今日本とミャンマーと行ったり来たりの生活だけど、将来的には?

来年度くらいからはミャンマーに住み込みで練習できる環境ができたらいいなと。それはウィン会長も理解を示してくれてます。

―この近くにアパートを借りて

はいそうです。やってみたいですね。

(*3) 9月23日に試合があり、金子選手は残念ながら負けた

これからの夢

―最後に、これからの夢を

この滞在中は仲間と一緒に自分の細胞が生まれ変わるくらいに練習しました。ちょっとだけミャンマー語も話せるようになったし、コミュニケーションも今までと比べて格段に出来るようになりました。仲間も大切にしたいです。

ラウェイの歴史は1000年、いろんな問題があってもラウェイの歴史と比べると本当に些細なことだと思います。これからは自分のことを応援してくれる人が一番多いミャンマー、自分が一番好きなここでラウェイでこつこつ結果を出していきたいなと。1000年というラウェイの歴史に残るようなラウェイの選手になって。選手としてミャンマーラウェイを世界に広めたいです。そして、競技だけではなく文化とか作法とか哲学とかそういう大切なものを理解したいと思っています。将来は日本初となるラウェイの道場を開きたいですね。

―今日はありがとうございました。これからもがんばってください。

はい、がんばります。

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注)インタビューを行ったのは去年(2018年)の8月です。

インタビュワー & 文:後藤 修身, Laz

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