About Us

当サイトはヤンゴン在住の日本人によって運営されています。

経済発展が進むヤンゴン。海外文化の流入で、若者がジーンズをはき道端でスマートフォンをいじる姿も、今やあたりまえの光景になりつつあります。

一方で、ラペイエ・ザイン(道端の紅茶屋)でのおしゃべりや、パゴダへの熱心なお参りは、今も変わらず行われています。

そんな新と旧が混在するヤンゴンの、ときどき地方都市の、「昔と変わらず良いもの」「新しく登場した良いもの」を紹介し、世の中の人々にこの国の面白さを知っていただきたいと、このサイトを立ち上げました。

当サイトが、ヤンゴンを200%楽しむための便利帳として、皆様のお役に立つことはもちろん、ミャンマーの人々にとって、自国の魅力を再発見できる場にもなり得たら嬉しいな、と、ひそかに願っています。

2014年11月吉日

スタッフ紹介

Goto Osami(後藤 修身)

「ビルマは夢のような国だよ」
旅先の中国で出会った旅行者から聞き、バンコクからラングーンに着いたのが1987年でした。空港でつかまえたボロボロのアメ車のタクシーは、ガタガタ道をダウンタウンへ向かいました。すれ違う車はまばら、日が暮れ、ローソクの光に照らされた露店が流れていきます。ゆっくりと歩くロンジー姿の人たちは影絵のよう。旅行者にとって、まさに夢のような国でした。それから28年、ミャンマーは大きく動きだしました。日々変わっていくヤンゴンに驚き、変わらないヤンゴンを見つけてはほっとする毎日です。

Khine Khine

「モヒンガを家に食べにおいでよ」と顔なじみのおじさんの家に誘われてついて行った私。奥さんと子どもたちは「おいしい?」とじっと私の顔を見ていました。おじさん家族にほっこりしてからXX年、すっかりヤンゴンに慣れた私は不便ながらも楽しいヤンゴン生活を送ってきました。ところが、2年前から民主化という名の元でヤンゴンがどんどん変わってきました。毎日が驚きです。変わっていくヤンゴンと変わらないおじさん家族、どちらもみなさんにお伝えできたらと思っています。

Kikuchi Miya(菊池 美弥)

さかのぼることXX年前。駆け出しライターだった私を養ってくれたのが、取材で出会った日本在住ミャンマー人家族でした。その後、ミャンマーと日本を往復し、いつの間にやらヤンゴンで働くことになり…。当時、夜の楽しみが限定されていたヤンゴンで、毎晩ビアサイン&クラブ通いしたのもいい思い出です。街の様子はどんどん変わっていく一方で、「ありがとう」と癒されたり、「なんでだろう」とついつい笑ってしまう、そんな"ミャンマーらしさ”は相変わらず。古くて、新しくて、楽しいミャンマーをたくさんご紹介して行きたいと思います。ビアサインで一人飲みしている日本人女性の姿を見つけたら、ぜひお声掛けくださいませ!

Laz

「え? ミャンマーですか??」
寝耳に水!の辞令でヤンゴンに飛ばされた19XX年。バンコクへの買い出しを励みにしつつも、実は毎日楽しく過ごしていました。以来、この国・人々とのご縁が続いています。随分便利になったヤンゴン生活。昔からの楽しみ方、新しい楽しみ方、これからも色々EnjoyYangon / Myanmarしていきたいと思います。少数民族のフリ(?)をしてあちこちに出没し、突然インタビューを始める姿を見かけたら、温かく見守ってくださいね。

Pinger

ヤンゴンに住み始めて6度目の引っ越しでお世話になったローカル一軒家。ロンジーを胸元に巻きつけ勇気を出して井戸の水を「エイッ」とかぶる・・・・ 「キャー冷たい!」とピョンピョン跳ねる私を横目に新しいロンジーかぶり、内側から口でくわえて着ていたロンジーを下から外すミャンマーの友人。ロンジー一枚の女性の姿は崇高でありながら、えも言われぬセクシーさ。変わりゆくヤンゴンでこんな風景がいつまで見られるのでしょう?