2021年2月1日、クーデターがあった日

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1週間ほど前から昼夜逆転の日が続いていた。1月31日は昼頃に起き、翌2月1日の早朝に寝るつもりだった。深夜、パソコンはずっとインターネットに繋がったままだった。異変があったのは時計の針が4時半頃を指したときだった。

 

4:30
インターネットが突然切れた。MPTの25MBの光回線を入れているのだが、たまにこういうことがある。あまり気にせず、スマホのテザリングに切り替えるとインターネットラインは復活した。

 

5:30
突然ブラウザの画面にニュースの速報が入ってきた。
「アウンサンスーチー拘束」
おおおおおーー何だーーー。眠気が一気に吹き飛んだ。

急いでミャンマーのニュースサイトを見るが「拘束」については何も書かれていない。そうだった、速報はFacebookだ。ミャンマーではニュースの第一報はFacebookページにアップされ、しばらくして自社のニュースサイトに反映される。

何社かのFacebookページを見るが、最新ニュースが3時間ほど前のままで、スーチー拘束の文章はどこにもない。

やっと見つけた。BBCのビルマ語(ミャンマー語)ページだった。BBCでは速報を伝えていた。他には People Media というローカルメディアがFacebookライブをやっていた。走行中の車の中からのライブだ。ネピドーからの配信で、どうも現場に向かっているらしい。

Facebook Messengerを開けると、ミャンマー関連のグループにメッセージが既にかなり書き込まれていた。友人から心配するメッセージも来始めていた。

 

6:45
突然、Facebookのページがアクセス不能になった。携帯でのテザリングが切れたしまったのだ。他の電話会社のSIMカードを使っても同じだった。電話も徐々に難しくなってきた。そして、ついに一切の通信ができなくなった。テレビをつけてみたが、何も映らない。情報が完全に遮断されてしまった。

 

8:10
ヤンゴン市内の様子を見ようと、家を出た。途中出会った1階に住むAさんは事態を知っていた。彼も非常に驚いていた。私が向かったのはダウンタウンの中心、スーレーパゴダだ。そこにはヤンゴン市庁舎や独立記念塔もある。スーレーまで徒歩20分ばかり、車はいつもより少ないような気がしたが、バスは走っていた。

 

8:30
スーレーパゴダに到着。携帯電話が繋がらないので、不思議そうに話をしている人たちもいた。しかし、多くの人たちは今起こりつつ事態を口コミによって少しは理解しているようだ。

スーレーの隣にあるマハーバンドゥーラ公園の様子は、いつもと変わらない。公園の片隅ではウェディング用写真の撮影が行われていた。新郎新婦は幸せそうな笑顔を浮かべていた。彼らは何も知らないのだろうか。

公園を横切ると、朝の体操が終わったという雰囲気の女性から声をかけられた。彼女が持っている自分のスマホで写真を撮って欲しいというのだ。なぜ私に声をかけたかというと、私が大きなカメラを持っていたからだという。撮影場所を変えながら数枚撮ってあげた。彼女に今朝のニュースを知っているか聞こうと思ったが、ニコニコしている顔を見て聞くのをやめた。

市庁舎に向かった。正面のゲートは閉まっていて、中には軍の車両が3台ほど並んでいた。ただ、軍の車両が市庁舎内にあるのを見ても、特に違和感はなかった。ヤンゴンでは軍の車両をよく見かけるからだ。

若い警備の兵士がいたので、
「今日は市役所は休み?」
と聞くと、
「そうだよ。今日は休みだ」
との答え。なぜ休みなのか聞こうと思ったがやめた。まだ若い兵士に聞いてもしょうがない。

 

10:00
歩いて自宅に戻った。一睡もしていないので眠いはずだがなぜか眠くない。普段はアドレナリンが不足している私だが、今日はいつになく大量のアドレナリンが出ているのだろう。ところで、いつもロンジー姿の私が今日は久しぶりにズボンを履いた。それに、サンダルではなく若者向けのウォーキングシューズだ。万一何かがあったときにはロンジー&サンダルはやっかいだ。走るとサンダルが脱げるかもしれないし、ロンジーがずり落ちてしまうかもしれないからだ。

 

12:10
携帯のデータ通信が突然復活した。ピロンピロンピロンピロンと何度も着信音が聞こえてくる。メールやメッセージがどんどん入ってきている。10年以上音信不通だった友人からも来た。返事だけでも大変だ。それに、某新聞社に務める友人との電話、某放送局からのインタビュー、ヤンゴン在住の友人たちとの電話と大忙しだった。

テレビは全チャンネルが停止していると思っていたのだが、ミャワディTV(Myawaddy TV )だけは放送しているという情報を聞いた。ミャワディは軍が経営する放送局で、6つのチャンネルを持っている。ミャワディにチャンネルを合わせると、映像が出てきた。ちょうど始まったニュースでは、国軍が全権を掌握した、去年11月の選挙は違法行為が多くて認めることができない、再選挙をするというような内容だった。

 

16:30
スーレーパゴダの近くで防御柵が設置されているという話を聞き、また歩いていくことにした。今度はロンジーにサンダル姿だ。スーレーに着いたが、午前中と同じで特に変わりがない。市庁舎前で業務用ビデオカメラを回している人たちがいたので聞いてみたが、報道ではなく、単に映画を撮っているのだという。

市庁舎内では軍のトラックがまだ止まっていた。近くにいた人たちに話しかけると、彼らは市庁舎の警備員で、ちょうど仕事明けだという。市庁舎は明日も明後日も閉まるとのことだ。クーデターの件を尋ねると、ゴニョゴニョとごまかされてしまった。

ということで、スーレーパゴダ周辺は何も変わらないいつもと同じ風景だった。スーレーからの帰り道、トラックが10台ほど縦列駐車していた。トラックにはPOLICEと書かれた。ちょうどスーレーパゴダ通りとマハーバンドゥーラ通りの交差点あたりだ。そこには歩道橋もかかっている。

トラックの荷台には、男たちが座っていた。首に赤いスカーフをしていたので、兵士に違いないと思った。歩道橋に上がり、何枚か写真を撮った。近くに座っていた若者たちに尋ねると、トラックに座っているのは警察官だという。制服の色が緑色ではなく、灰色だからだ。彼らは兵士ではなく治安警察だった。

彼らと雑談した後、
「国軍とNLDはどっちが好き?」
と、ちょっと意地悪な質問をした。
「言えないよ(マピョータブー)」
という答えだった。このマピョータブー、軍事政権時代(1988〜2011年頃)によく聞いた言葉だ。この時代、政治的な質問を初対面やそれほど親しくない人たちにすると必ず返ってきた言葉だった。しかし、親しい人たちとプライベートな場所で話をすると、軍事政権大嫌いという話で盛り上がっていた。

軍事政権が終わってもう10年近いが、久しぶりにマピョータブーを聞いた。たった半日で10年前に戻ってしまった。

 

18:00
やっと自宅に戻った。今日歩いたのは10Km以上、最近引きこもり状態だった私にはかなりヘビーだったようで、ふくらはぎがピクついていた。

といって休むわけにはいかない。今やるべきことが山のように溜まっていた。メッセージにメールに電話にと容赦なく私を襲ってきた。何とか終えることができると、1ヶ月分の仕事をこなしたような気分になった。普段もこんなに仕事が早いといいのだが・・・

 

22:00
ヤンゴン在住の石谷さんから連絡があり、「南洋放送局特別番組」ということで、Facebookライブに出ることになった。これはアーカイブを残さないライブのみのスタイルだ。二人で今日一日を振り返った。最初は1時間で終えるつもりだったが、結局2時間以上のライブとなった。

 

1:30
長い一日が終わり、泥のように眠った。

 

クーデター後のミャンマー最新情報
在日ミャンマー人向け、新型コロナウイルス情報
 

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2021年08月03日(火)

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