探検隊

編集部が体を張って試してみた、探ってみた、旅してみた、ミャンマーのあれこれ。

緑の中の宝探し〜ナガー・グラスファクトリー

ヤンゴンの主要道路のひとつ、インセイン・ランを小道にそれると、龍の名を冠したガラス工房がある。「ナガー・グラスファクトリー(Nagar Grass Factory)」-- ミャッ・チュエさん(U Myat Kywe)ら兄弟が運営する老舗工房だ。敷地に足を一歩踏み入れると、主要都市・ヤンゴンとは思えないような景色が広がる。そこらじゅうから草や枝が元気よく飛び出し、地べたには色とりどりのガラス作品が所狭しと無造作に置いてある。

客はその中から気になるものを探し出し、工房の人に洗ったり研磨したりしてもらい、気に入ったら購入するというシステムだ。

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きっかけは日本人医師

この一風変わった工房が始まったきっかけは、第二次世界大戦中、今のグラスファクトリー含めたエリアが日本軍に抑えられ、敷地内に日本の施設ができたころに遡る。

「当時、この辺りの敷地には、日本人の医師と薬剤師が滞在していました。彼らは、医薬品などが入手困難な中、植物からマラリアの特効薬を抽出しては、日本人ミャンマー人関係なく、たくさんの人を助けてくれました。敵に見つからないよう、植物採取は夜間に行っていましたね。まだ幼かった私は、医師がいる場所にある医療機器が、触ったら怪我をしそうだと怖くてたまらなかったのを覚えています。まあ、私たち自身がそこに入ることも許されていなかったのですが。日本軍に対し、父が物を壊したり、触れたりしないから、私たちを追い出さないでくれと懇願し、施設内に入らないこと、労働力を提供することなどを条件に、私たちはなんとかこのエリアに留まることができました。」とミャッ・チュエさんは昔を振り返る。

最初のころは、日本人医師らはマラリアの薬を運ぶのに竹の筒を使用。後に釉薬を塗った陶器の瓶に変更したのを見ていたミャッ・チュエさんらのお父さんが、そこからヒントを得て、戦後まもなくグラスファクトリーを開設した。店名の「ナガー(ミャンマー語で“龍”の意味)」は、お父さんの生まれ曜日・土曜日の守護神が龍であることから付けたものだという。

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「そのころ作っていたのは、薬を入れるような瓶だけです。最初は緑っぽいガラスや茶色っぽいガラスができるばかりで、透明なガラスがなかなかできませんでした。父はガラスづくりの経験がなかったので、その知識を持つ人々に協力してもらい、透明なガラスを生み出そうと努力していました。私もガラスに興味があり、本を読みあさって何をどうしたらよいか研究しました。戦後はイギリスやアメリカの本がミャンマーに入って来ていたので、そこからいろいろと学び取ることができました」

ガラスの主原料となる砂を全国各地から取り寄せ、最適な材料を探し続けたミャッ・チュエさんのお父さん。入手しては作ってを繰り返した結果、ミャンマー南部の海底の砂にたどりついた。そして濁りのない透明なガラスをつくることに成功した。

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「今のようなガラスを作り出せるようになったのは、自然が私たちを助けてくれたおかげです。そこからさらに綺麗なガラスを作ろうと、私自身、一生懸命勉強しました。誰もガラス作りの秘訣や技術を公開してくれませんでしたし、自力で答えを見つけるしかなかったんです。もちろん、私も誰かに自分の技術を教えたりはしたくはありませんけどね(笑)。」

今も続く“自然”のスタイル

ミャッ・チュエさん兄弟たちが工房を継ぐと、グラスファクトリーの評判はますます向上。訪問客にパフォーマンスを見せたり、ガラス吹きの体験をさせたり、出来上がった作品を草の生える地面に直接置いて保管するという独特のスタイルが人々の興味をひき、外国人観光客が訪れる人気の工房へと成長した。

「ヤンゴンの有名なチャウッタージーパゴダの寝釈迦の眼の製造を受注したり、有名ホテルから注文が来たり、アメリカ人宇宙飛行士ジョン・グレン氏の訪問を受けたこともあるんですよ」と写真を出して説明してくれるミャッ・チュエさん。せっかくきれいなガラスを生産できるようになったのに、なぜか外国人にはヒビが模様のように入ったグラスや、空気のつぶが入った作品のほうが人気なのだと苦笑する。

整備もせずに、ジャングルのような場所でわざわざ工房を運営している理由について質問すると、思わず納得の回答が返って来た。
「ガラス工房では、高温に保つため炉を燃やし続けなくてはならず、二酸化炭素が大量に出ます。この木々があれば、有害な二酸化炭素を酸素に変えてくれます。それに、緑があることで熱いヤンゴンの気候もだいぶやわらぐんですよ。腕の良い職人が、湿気の少ないマンダレーのほうが過ごしやすいからと、うちを辞めて移ってしまったことがありましたが、後からこの環境の良さに気付いたのか、やはり戻ってきたいと言ってきたことがあります。緑があるからこそ快適さを保てるのに、なぜこんなことも分からないんだろう」

そんなユニークな工房に大きな変化が訪れたのは、2008年、ミャンマーを襲った大型サイクロン・ナルギスの上陸のとき。いくつもの作品が飛ばされ、転がり、壊れ、以来、この工房の炉の火は消えたままになっている。今は作品は作らず、地面に散らばっている物の中で欲しいものがあれば販売するというスタイルを取っている。

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「工房を再開したいとは思いますが、ガラス作りだけでは赤字になってしまう。今後の運営費用を含め、いろいろと考えてのことです」

もうガラスを作らなくなったナガー・グラスファクトリーだが、工房を訪れる外国人観光客は後を絶たない。皆、道端に重なる欠けたガラス作品の下にあるものを覗いてみたり、草むらをかき分けて奥に転がる作品を拾い上げたり、掘り出し物を見つけるべく目をキラキラさせながら探索している。

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「このグラスを見てください。空気も入っておらず、見る角度によって茶色や赤などいろいろな色が見えるでしょう?」「こっちの裏が白で表面が透明な青で覆われた器を見てください。これは本当に作るのが大変なんですよ」と、ひとつひとつの作品を我が子のように自慢するミェ・チュエさん。歴史ある手作りガラス工房は、トレジャーハンティングの場へと姿を変え、今も人々を楽しませている。

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(写真:後藤修身、文:菊池美弥、通訳:Khine Khine)

  • 名称
    Nagar Grass Factory
    ナガー・グラスファクトリー
  • 住所
    No.152, Yawgi Kyaung Street, Hlaing Township, Yangon
  • 電話
    95-1-519718, 95-1-526053
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